2009年2月26日木曜日

フェノッリオ 原Urパルチザン・ジョニー



 原Urパルチザン・ジョニー

 第2章



 ターザンとセットは二度と帰って来なかった。右手から家に撃ち込んでいるあいだに、片足がだらりとぶら下がって、味方の流れ弾に当たったその足は上から下までナイフで切り裂かれたみたいなのに、セットは気がついた。そこでターザンが彼を担いで最寄りの農家まで引きずってゆき、荷車に馬か牛を繋いで安全な場所までいって手当てを受けさせようとした。ところがファシスト軍の救援部隊が早くも現れてセットの流した血の痕を辿って、麦打ち場で安堵の息をついたばかりの彼ら二人に襲いかかり、たちまち二人を引き裂いた。ターザンはT字路の家まで引き戻されて道端で銃殺された。しかしセットのほうは応急の手当てを受けてタバコまで与えられて一目で徴発されたと分かるマットレスの上に寝かされて、連中のトラックの一番よい場所に載せられた。拾い集めたパルチザンたちの死体が一緒だったという。けれどもセットは胆の坐った、徒な望みを育まない男だった。カネッリに着くや、夜更けに、教会墓地に引き出されて囲い壁に凭れかかされ、無事だったほうの片足で立ったまま銃殺された。そして恐ろしいニュースが護衛隊のあいだに野火のようにぱっと広まった、カネッリの目抜き通りのショーウインドーに明々と明かりを灯して、カネッリのファシスト軍はノルドの父親の亡骸を晒しものにしている。身許書きと罪状書きと懲罰文を記したカードまで縫いつけて、と。そして護衛隊員たちは丘から丘へ、ファシストの堅塁への即刻の総攻撃と、その抹殺と遺骸のひきとりを求めて、叫び交わしていた。叫び声と激昂があたりを包み、マンゴに引き揚げてきた男たちはいまさらのようにその日一日の途方もない疲れに打ちのめされて、戦闘と危険に飽き飽きしていた。ノルドは喪と悲しみの嵐に見舞われて、当座の指揮権を譲り渡し、そのボディーガードたちが勝手に何もかも取り仕切っているみたいだったから、どの丘も稲妻の光る混乱のなかで息をひそめて待っていた。女たちや年季のいった伝令たちがカネッリに潜入させられて、亡骸をさらしものにしている形跡もないし、明かりの灯っているような通りもない、と報告が上がると、誰もかもが青ざめた夜に呑み込まれていった。そしてマンゴにはギアッチとその部下たちへの一片のメッセージが届けられただけだった。その中で、ノルドはおのれの父親の死には触れないで、その日の渋い戦い振りと不屈の攻勢に讃辞を寄せて、彼らは英軍ミッションの讃歎の眼差しのもとに戦い抜いたのだ、と述べていた。
 ジョニーの心臓がこの結び近くの二語に鼓動を止めて、彼は濃い藍色の空に燃えるように赤く稜線を浮き立たせた真向かいの丘々に目を向けて、あの上のどこかに彼らはいるのだと思った。そして次の日の午後にはノルドの新しい専用車が高馬力の静けさでマンゴに滑り込み、丸く見開かれたマンゴの男たちの目やギアッチとフランコの郷愁を誘う眼差しのもとで、取ってつけたように恭しくなったボディーガードたちがドアを開けてジョニーを車中に請じ入れた。「とうとう来たるべき日が来た。きみはぼくらにとって失われ、きみの天性の職に就くのだ」と、別れの挨拶めかしてギアッチが言った。「気をつけろよ、ジョニー、〈司令部〉の悪習に染まるんじゃないぞ。」そうして車は病的な不遜さで走りだし、この小旅行のあいだじゅう護衛者は何度も横目でこの物静かな、無口の、まるで自己主張しない兵士をちらりと見た。この男が英語を知り尽くしていて、戦況の鍵を握る男となり、この男に対してなすことは良かれ悪しかれノルドその人に対してなすのと同じと思えというのか。ジョニーはというと、彼は痛々しいくらいに気を揉みながら悲観的で、これまで恋文を、古今の世界史に冠たる恋文を、送っただけの愛しいひとについに逢いにゆく恋人にも似た心持ちでいた。幻滅は邪悪にも百対一の確率で目睫の間に迫っていた。英国史とその偉人列伝から抜けだしてきて、まさにジョニーが期待するようなイギリス人が、夢見た完璧さで会いに来ようはずがない。ジョニーが衝動的に狂ったみたいに首を振ったものだから、護衛者は当惑して彼を眺めた。ぼくはまず低めの水準から始めねばならない、と彼は思った。ぼくは馬鹿者だ。初めて水辺に出て、もうロレンスやローリーやゴードンに近い何かを備えた男たちに出会うことを期待するなんて。
 車が泥水を吹き出しながら泥濘の大海に分け入った。そこが司令部中庭で、ルチアーノが彼を出迎えた。ノルドは姿を現さなかった、父親の戦死以来、誰とも会わずに、悲しみと遺恨に埋もれてひたすら丘から丘、谷から谷を歩きとおすばかりで、黒ぐろと日焼けした顔の皮膚に喪を刻み込んでいた。新来のイギリス人たちに碌に自己紹介もしないで、そそくさとおのれの丘ごとの悲しみに舞い戻ってしまい、彼の配下たちはときおり彼の悲しみと遺恨の叫び声を耳にするのだった。英軍との取り決めは一切ジョニーが仕切るように、これがルチアーノを通じてのノルドの命令だった。イギリス人は、彼らのうち二人は、北側の牧場にいて、自ら望んだ孤独に浸りきっていた。そこでジョニーは誰かが書いていたことを思い出して目を瞠った、英国人は孤独にしがみつく。孤独の裡にあってこそ彼らはおのれを非凡と感じるからだ、と。それゆえ聞いてみた。
 「あの二人が自分をめざましく感じるのはどこかな?」ルチアーノが吐き出すように言った。
 「あの二人はおよそおれの性には合わないね。あいつらが来たのがパラシュート投下のためであるものか、無線も持っていなければ、通信兵も連れてきていない。いったい何をしに降下してきたんだか、行って聞いてみるがいい。」
 ボクスホール大尉とウィティカー中尉は北牧場の上端部に立っていて、一見して風景に深く心を奪われていた。彼らは二人とも正装してゲートルを巻き、負い革とベルトに英国製の一流の武器を吊るしていた。左肩にカービン銃、右肩にマーリン銃、腰にはコルト拳銃を匕首みたいに。
 そしてジョニーは彼らの一人であったなら、彼らになりたい、と願った。それにカーキ色はまさに彼が生まれついた色そのものだし、彼らのあらゆる経験を共有すること、──そして彼らの生まれ育つ環境、魔法をかけられた島への彼らの郷愁と現在のあの孤独、そして英国史そのものに由来する彼らの魅力、彼らの隊長たち、彼らを待つ女たち、護送船団、アングロサクソン、エル=アラメイン、シチーリア……お茶や、パラディオン劇場での彼らの賜暇の最後の夜、メラクリーノが彼らのために弦を引き……
 二人は彼に気がついて、いまは穏やかに彼を観察している。彼は歩みつづけて登り、彼らと合流した。ウィティカー中尉はふつうの若者で(ジョニーと同じ年)、白人世界のどんな川の船上でもまずまずに生まれたことだろう。しかしボクスホール大尉のほうは小さな三角顔が、蜂蜜と真鍮色のやけに透き通った天然パーマの厚い蓬髪の下で、脇へゆくほどに膨れ上がってばかでかい項となりそれがとりもなおさず彼の頭部を成していた。母国語で話しかけられると、彼らは予期したことかのように上品に安堵の溜息をついてみせて、ボクスホール大尉がズボンの大きな前ポケットからクレイヴンの大きな四角い缶を抜き出して挨拶代わりにタバコを一本差しだした。ジョニーと同じように完璧なアクセントを心掛けながら、大尉が言った。「こりゃ、実にめざましい景色だね。」
 「ヨークシャーにどことなく似てるかな」と、ほんの読書体験からジョニーがつい口にした。
 「そこに行ったことはないが」と、ボクスホールがすげなく応じた。「中尉、きみはそこに行ったことがあったっけ?」
 「どこに?」目を覚ましたウィティカーが答える。「ヨークシャーにかい?一度も。」
 四時三〇分で、世界は悲しみだった。空は高く、眩暈がするくらい大半は蟻集する鼠色で、冷たく投げ遺りな疾風が、消燈合図の晩鐘にも似て、最寄りの木立の最初の葉っぱをかさこそ鳴らしながら、押し寄せてきた。そしてあの悲しみのなかに冷えきったジョニーの心に釘で打ち込むみたいな想い。「こいつらは哀れなイギリス人だ。このイギリス人たちの哀れさはどうだ!」
 ジョニーは気がついた。ウィティカー中尉に対するボクスホール大尉の態度には何か自然な、歴史的服従みたいなもの、ロードに対するヨーマンみたいなものがある。せいぜい皮肉を装いながら大尉が言ったものだ。「こちらじゃ中尉ははなはだ退屈しきっちゃってね。彼はひと乗りしたくてたまらないのだ。違うかね、中尉?中尉の願いを叶えてくれそうな馬がいるかな?」
 ジョニーは頭のなかが真っ白になって立ち尽くした。「田舎の駄馬しかいないんじゃないかな、たぶん。」ウィティカーががっかりしてタバコの煙を吹きだし、ジョニーはクレイヴンの喉ごしの悪さに咳をした。彼は立ち直って口を切った。「われわれはあんたらがラジオ発信機を持って通信兵を連れてくると期待していたんだが……」
 「きみらの誤解だ、」と落着き払ってボクスホールが答えた。「そいつは後からやって来る──そしてジョニーの顔に失望と猜疑の色が浮かぶのを見て取ると、──まあ、二、三日以内のことだ。なあ、われわれは先遣隊だ。モンフッレトで仲間を待つんだ。“モンフッレト”で、通じるかい?ありがとう。だからそこまで護衛してもらわにゃならん。明日、きみがそうしてくれないかね?」
 「すると、あんたらはランゲに止まるんではないのだな?」
 「なあ、われわれはモンフッレトのほうがトリノやアレクサンドリアに関して、情報収集のためにも情報活動のためにも格段と良いと聞かされているんだ。分かるだろう?このモンフッレトというのはどんな土地だね?」
 「モンフッレトはランゲと同じようなただの丘陵地帯だが、標高はさほど高くなくて……そうだな……言ってみれば、不吉な土地だ。」
 「われわれの護送隊長にきみを当てにしてよいのかな?」
 「そいつは不可能だろう。あんたらの話じゃミッション本隊が二、三日中にはここに降下するということだし、通訳のためにもぼくはこちらで欠けるわけにはいかない。しかしあんたらはぼくの仲間がきちんと送ってゆくさ。行き先を聞かしてくれるかい?」
 ボクスホールは何とか発音しえたのだが、やがて諦めて左胸ポケットのボタンを外すと、ただの絹ハンカチみたいに見えたものを引っ張りだした。が、それは豪華にもテクニカラーの地図だった。彼はそれを擡げた左腿のうえに押しつけながら、モンカルヴォと読み取った。
 「その土地は知っている」と、ジョニーが言った。「モンフェッラートのど真ん中にある、大きな、裕福な村だ。」
 「ここからどのくらい遠いんだ?」とウィティカーがすかさず聞いた。
 「二十五マイルくらいかな。」するとウィティカーはうんざりして急に歩きだし、見るからに退屈そうにどこまでも遠くへ歩いていった。
 「あいだに敵の弾幕は?」とボクスホールが尋ねた。
 「アスティには大規模なファシストの守備隊がいて、辺り一帯をたえず偵察している。」
 「おれの言うのは端的に、もっぱらドイツ軍のことなんだが」と、ボクスホールがすげなく特定した。
 「いや、ぼくの知るかぎりでは、そこいらにはドイツ軍はいない。むろん、たまたま出くわすことはありうるが。」
 「言うまでもないが、夜間だけ移動してゆく。それに……いったい中尉はどこへいっちまったんだ?」
 振り返って彼らは見た。ウィティカーははるか遠くにいて、なんとか分かろうとするのだが一向に要領をえない護衛隊員相手に意図を通じさせようとむきになっていた。彼らはその二人めざして下っていったが、二人は司令部隅石の陰に隠れて見えなくなってしまった。
 彼らは行く手を護衛隊軍曹に妨げられた。この男はジョニーにくっついてボクスホールに通訳させようとした。彼はイタリア空軍の戦闘機部隊に入隊して英軍と空中戦で渡り合ったが、最後の折りには英空軍機の機銃が彼の左肘を撃った、と。ジョニーが通訳した。すると、「おまえの左肘を撃った?英空軍機が?はなはだ遺憾だ」と、ボクスホールは言った。
 もうひとりの護衛隊員、ノルド司令部の家令か何かがわざわざやって来てのたまわった。特別夕食が準備中だ。それに……「ところで、こうしたイギリス人ときたら毎朝きまって髭を剃るよな。よし、朝の何時だろうと髭剃り用具は整えておいてやろう。ジョニー、そう言ってやってくれ。しかもだ、彼らの軍靴は朝にはぴかぴかに磨き立てられてある、とな。」
 「そういう類のことはおまえの頭から掃きだしておくんだな。」と、ジョニーは彼にきめつけた。
 夕闇が真っ逆さまに降りてきて、夕べの霧がゆっくりと、鰐みたいに谷間の水辺に押し入ってきた。と、その幻だらけの黄昏どきに地響きがして、無骨に力強いギャロップの響きと護衛隊員たちのしわがれ声の喊声が沸き起こった。そこでボクスホールが大口を開けて、ウィティカーはついに乗る馬を見つけた、と言った。
 彼らは二人とも北の牧場へ急いだ。そしてヘーラクレースとルチアーノが彼らに加わった。すると、見よ!ウィティカーが農場から曳きだした堂々たるヨークシャー馬に跨がって泥水を撥ね飛ばしながら前へ後ろへと馬を責めている。馬はとうに泡を吹いて走り通したのだが、幽霊の出そうな夕闇のなかへ惹きこまれそうな、荒々しい、野蛮な、サクソン人の雄叫びをあげながら、彼はなおも馬を責めつづける。
 ノルドがその荒れ野から彷徨い出て、ウィティカーのまさに次の走路を横切った。彼は異常に皺が寄って、その顔の皮膚は悲しみと復讐の念によって酷く灼けていた。いったい何事かと尋ねて、イギリス人がどうしても馬に乗りたがったのだと聞くと、彼は唇を固く噛み締めてから、命じた。「彼らには欲しがるものは何でもくれてやれ、分かったか?」ヘーラクレースが敢えて言った。「でも隊長、あなたの喪に差し障りが……?」「彼らには欲しがるものは何でもくれてやれ。わたしの喪に差し障ろうと。」そうして彼はその夕闇の荒れ野と服喪にまた発っていった。けれども彼は急に立ち止まると、嗄れ声でジョニーを呼び寄せた。「ヴァルディヴィッラではきみが先頭を切って、ぼくの父親の前にいた男だったというのはほんとうか?」
 「そうだ。しかも時速八ないし九キロで急行したというのに、ぼくが少しでも歩度を緩めようとすると、きみの父上の足がぼくの踵を蹴ったのだ。」
 彼は半ば微笑み、半ば嗚咽を洩らし、──渦を捲く靄のなかに見えなくなった。
 ウィティカーが向こう端へと突進した。しかしこんどは彼は馬首を巡らさなかった。疲れ切ってはいたが興奮した馬は幻の柵を跳び越えて隣の牧場の向こうまで疾走した。やがて不意に、一同のそばだてた耳に、ギャロップが鎮まるのが聞こえて、誰かが叫び、あのイギリス人が叫び返して、小銃の銃声が一発。そして緩慢なギャロップと小銃の銃声の谺が消え失せたころに、ウィティカーが喉のかぎりに叫んで罵るのがとてもはっきりと聞こえてきたけれども、彼は泥のフィルターに向かって喚いているかのようで、また小銃の斉射音がした。
 ルチアーノが言った。やつは次の歩哨線まで馬でつっかけたので、彼らが誰何して合言葉を訊いたのち、撃ちかけたのだ。そこで一同は泥水を撥ねあげながら草地を突っ切って、前方正面の歩哨群に金切り声をあげ、ボクスホールはパルチザンを罵りまくり、ウィティカーとヘーラクレースはいっそう声を張りあげた。
 歩哨たちが彼らを誰何して止めたが、ルチアーノが合言葉を叫んで一同は泥まみれのウィティカーが棒立ちになって、キリストを罵っている溝まで行き着くことができた。
 「どこか怪我したか?」ボクスホールとジョニーが同時に尋ねた。
 ウィティカーは凍てついた泥濘から立ち上がって泥だらけの軍服の下の身体を触りながら確かめているところだった。「ぼくは無傷だ」と、ようやく彼が言った。「だが、いったいなんだって、畜生め、こいつらはぼくに撃ちかけるんだ?」
 「彼らが誰何して合言葉を訊いたときにきみが答えなかったようだ。」
 「なんでこのぼくがあんたらの合言葉なんぞを知ってるわけがある?」
 銃撃した哨兵のひとりが一同のところまでやって来て、あの怒っている、泥まみれの男は誰なのかとルチアーノにこっそり尋ねた。「英軍ミッションの将校のひとりだ」と、ルチアーノが答えると、その男は顎を胸に埋めて言ったものだ。「暗かったのと動悸がしたお蔭で助かった。だっておれはほんとにやつを撃ち殺そうと狙ったんだから。」
 続いてやってきた護衛隊員のひとりが遠くで、喘いで、哀れにも口泡を吹いていた馬を掴まえて、ボクスホールはひどくすげなくウィティカーに行こうと促した。
 「巻きゲートルの片方が見つからないんだ。」
 「いいから、中尉、行こう。」



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